石にかぶりつく犬の話
ツォンカパの『ラムリム・チェンモ』の最後の方に、観(ヴィパシャナー)の修習に関する議論がある。そこでツォンカパは次のような見解を示している。「無我」の真実を理解するためには、まず否定対象である「我」とはいかなるものであるかを確認し、私達の意識がどのような様式で「我」を捉えているのかを知る必要がある。そうすることによってはじめて「我」の存在を否定し、「我」を捉える誤った認識を断じることができるのである、と。平たく言えば、「我」という敵に立ち向かうには、ます最初に敵を知ってから、その敵をやっつける対抗策を講じなければならない、ということである。これはツォンカパが繰り返し述べている考えである。
これに対して、次のような反論がある。わざわざ「我」の存在を確認して逐一それを否定していくよりも、はじめから「我」というものを一切思わなければ、心の平安が得られるのではないか。これは要するに「無念無想」ということを説く見解である。
こうした反論者の見解をツォンカパは次のように記述している。若干訳しにくい箇所もあるが、試訳も示すことにする。
ཡང་དེའི་རྗེས་སུ་ཕྱོགས་པ་ཁ་ཅིག་འདི་སྙམ་དུ། བདག་གཉིས་སུ་མཚན་མར་འཛིན་པའི་ཡུལ་ལ་དཔྱོད་པ་མང་དུ་བྱས་ནས། དེ་ནས་ཡུལ་ཅན་གྱི་འཛིན་པ་དེ་བཟློག་པ་ནི། ཁྱི་རྡོ་ཕྱིར་འབྲངས་པ་ [497b3] དང་འདྲ་བར་སྤྲོས་པ་ཕྱི་ཆོད་ཡིན་པས། དང་པོ་ནས་སེམས་གང་དུ་ཡང་མི་འཕྲོ་བར་འཛིན་པ་ནི། རྡོ་འཕེན་པའི་ལག་མགོ་ནས་འཛིན་པ་དང་འདྲ་བར་དེ་བྱས་པ་ཉིད་ཀྱིས་མཚན་མར་འཛིན་པའི་ཡུལ་དེ་དག་ལ་མི་འཕྲོ་བ་ནི་སྤྲོས་པ་ཐམས་ [497b4] ཅད་ནང་ནས་གཅོད་པ་ཡིན་ནོ། ། དེས་ན་ལྟ་བ་གཏན་ལ་འབེབས་པའི་ལུང་རིགས་རྣམས་ལ་སྦྱོང་བ་ནི་ཐ་སྙད་པའི་ཚིག་ཙམ་ལ་འབྱམས་པའོ་ཞེས་སྨྲའོ། །
「さらに、彼に従うある者は以下のように論じる。二我を〔捉える〕相執の対象に関して幾度も考察した上で〔二我を〕対象とするその把握を退けるというのは、犬が石を追いかけるのと同じように、戯論を外的に除外する〔ことに過ぎない〕ので、〔それよりもむしろ〕最初から心をどこにも散乱させることなしに〔内に〕止めておけば、石を放る手を最初から止めておくのと同じく、それをなしたことだけで、それらの相執の対象へと〔心が〕散乱することはない。〔これこそが〕一切の戯論を内側から除外する〔仕方〕である。」
はじめこの文章を読んだ時、例えの意味がよく分からなかった。反論者の意見に従えば、ツォンカパの提唱する修行法は「犬が石を追いかける」ようなものであり、一方彼らの提案する修行法は「石を放る手を最初から止めておく」ようなものであると言う。
ちなみに、長尾雅人訳では「あたかも犬を石を以て逐ひはらふ如く」「石を投げるところの手を最初からひかえるのと同様に」とある。長尾氏は ཁྱི་རྡོ་ཕྱིར་འབྲངས་པ་ を「犬を石を以て逐ひはらふ」と訳すが、ジャムヤンシェーパが施している割註によれば、どうも違うらしい。ジャムヤンシェーパはこれらの箇所を次のように註釈する。これまた訳しづらいが試訳も付ける。
༼དཔེར་ན་༽ཁྱི་༼ལ་རྡོ་རྒྱབ་པའི་ཚེ་ཁྱི་དེ་༽རྡོ་༼གར་སོང་གི་༽ཕྱིར་འབྲངས་༼ནས་རྡོ་དེ་ལ་རྨུགས་༽པ་དང་འདྲ་བར་༼ཕྱིའི་སྤྲོས་པ་གང་བྱུང་རེ་རེའི་རྗེས་སུ་གཉེན་པོ་རེ་རེས་དགག་དགོས་པའི་ཕྱིར་ན༽
「(例えば)犬(に石を放ってやると、その犬)が石(の行く方)を追いかけて(その石に噛み付く)のと同様に(何であれ外的な戯論が起こるたびに、適宜、対抗手段を講じて断じなければならないので)」
༼དཔེར་ན་༽རྡོ་འཕེན་པའི་༼ཚེ་༽ལག་མགོ་ནས་འཛིན་པར་༼བྱེད་ན་ཁྱིས་རྨུགས་པ་ཡང་དེ་ནས་ཐག་ཆོད་འགྲོ་བས་དེ་༽དང་འདྲ་བར་
「(例えば)石を放る(ような場合)手を最初から止めてお(けば、犬が〔石に〕噛み付く〔という煩わしい出来事〕もその時点で解決したことになる)のと同じく」
ジャムヤンシェーパの解釈によれば、おそらくこういうことであろう。犬がいる所で飼い主が石を幾度も放り投げると、犬はその度ごとに石を追いかけて行き、石にかぶりつく(実際に実験したら果たしてそうなるか分からないが…)。そして、犬が石にかぶりつくたびに、飼い主は犬の口をこじ開けて石を取り出してやらなければならない。反論者によれば、ツォンカパの見解はこれに似ていることになる。否定対象がいかなるものであるか幾度も確認し、毎回それぞれの否定対象を退けてゆくというのが、ツォンカパのやり方である。
他方、反論者の考えによれば、はじめから石を放り投げさえしなければ、こうした面倒な作業を一々しなくて済む。つまり、「否定対象の確認」という煩わしい作業はナンセンスだという考えである。
卑近な例で言えば、風邪を患った時に、病院まで出掛けて行って適切な治療をしてもらうのがツォンカパ流のやり方であろう。わざわざ外の空気に触れて風邪をこじらすくらいなら、家で安静にしていようというのが反論者のやり方である。ちなみに、ぼくがいつも選択するのは後者である。

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