October 30, 2008

石にかぶりつく犬の話

 ツォンカパの『ラムリム・チェンモ』の最後の方に、観(ヴィパシャナー)の修習に関する議論がある。そこでツォンカパは次のような見解を示している。「無我」の真実を理解するためには、まず否定対象である「我」とはいかなるものであるかを確認し、私達の意識がどのような様式で「我」を捉えているのかを知る必要がある。そうすることによってはじめて「我」の存在を否定し、「我」を捉える誤った認識を断じることができるのである、と。平たく言えば、「我」という敵に立ち向かうには、ます最初に敵を知ってから、その敵をやっつける対抗策を講じなければならない、ということである。これはツォンカパが繰り返し述べている考えである。
 これに対して、次のような反論がある。わざわざ「我」の存在を確認して逐一それを否定していくよりも、はじめから「我」というものを一切思わなければ、心の平安が得られるのではないか。これは要するに「無念無想」ということを説く見解である。
 こうした反論者の見解をツォンカパは次のように記述している。若干訳しにくい箇所もあるが、試訳も示すことにする。

ཡང་དེའི་རྗེས་སུ་ཕྱོགས་པ་ཁ་ཅིག་འདི་སྙམ་དུ། བདག་གཉིས་སུ་མཚན་མར་འཛིན་པའི་ཡུལ་ལ་དཔྱོད་པ་མང་དུ་བྱས་ནས། དེ་ནས་ཡུལ་ཅན་གྱི་འཛིན་པ་དེ་བཟློག་པ་ནི། ཁྱི་རྡོ་ཕྱིར་འབྲངས་པ་ [497b3] དང་འདྲ་བར་སྤྲོས་པ་ཕྱི་ཆོད་ཡིན་པས། དང་པོ་ནས་སེམས་གང་དུ་ཡང་མི་འཕྲོ་བར་འཛིན་པ་ནི། རྡོ་འཕེན་པའི་ལག་མགོ་ནས་འཛིན་པ་དང་འདྲ་བར་དེ་བྱས་པ་ཉིད་ཀྱིས་མཚན་མར་འཛིན་པའི་ཡུལ་དེ་དག་ལ་མི་འཕྲོ་བ་ནི་སྤྲོས་པ་ཐམས་ [497b4] ཅད་ནང་ནས་གཅོད་པ་ཡིན་ནོ། ། དེས་ན་ལྟ་བ་གཏན་ལ་འབེབས་པའི་ལུང་རིགས་རྣམས་ལ་སྦྱོང་བ་ནི་ཐ་སྙད་པའི་ཚིག་ཙམ་ལ་འབྱམས་པའོ་ཞེས་སྨྲའོ། །
「さらに、彼に従うある者は以下のように論じる。二我を〔捉える〕相執の対象に関して幾度も考察した上で〔二我を〕対象とするその把握を退けるというのは、犬が石を追いかけるのと同じように、戯論を外的に除外する〔ことに過ぎない〕ので、〔それよりもむしろ〕最初から心をどこにも散乱させることなしに〔内に〕止めておけば、石を放る手を最初から止めておくのと同じく、それをなしたことだけで、それらの相執の対象へと〔心が〕散乱することはない。〔これこそが〕一切の戯論を内側から除外する〔仕方〕である。」

 はじめこの文章を読んだ時、例えの意味がよく分からなかった。反論者の意見に従えば、ツォンカパの提唱する修行法は「犬が石を追いかける」ようなものであり、一方彼らの提案する修行法は「石を放る手を最初から止めておく」ようなものであると言う。
 ちなみに、長尾雅人訳では「あたかも犬を石を以て逐ひはらふ如く」「石を投げるところの手を最初からひかえるのと同様に」とある。長尾氏は ཁྱི་རྡོ་ཕྱིར་འབྲངས་པ་ を「犬を石を以て逐ひはらふ」と訳すが、ジャムヤンシェーパが施している割註によれば、どうも違うらしい。ジャムヤンシェーパはこれらの箇所を次のように註釈する。これまた訳しづらいが試訳も付ける。

༼དཔེར་ན་༽ཁྱི་༼ལ་རྡོ་རྒྱབ་པའི་ཚེ་ཁྱི་དེ་༽རྡོ་༼གར་སོང་གི་༽ཕྱིར་འབྲངས་༼ནས་རྡོ་དེ་ལ་རྨུགས་༽པ་དང་འདྲ་བར་༼ཕྱིའི་སྤྲོས་པ་གང་བྱུང་རེ་རེའི་རྗེས་སུ་གཉེན་པོ་རེ་རེས་དགག་དགོས་པའི་ཕྱིར་ན༽
「(例えば)犬(に石を放ってやると、その犬)が石(の行く方)を追いかけて(その石に噛み付く)のと同様に(何であれ外的な戯論が起こるたびに、適宜、対抗手段を講じて断じなければならないので)」

༼དཔེར་ན་༽རྡོ་འཕེན་པའི་༼ཚེ་༽ལག་མགོ་ནས་འཛིན་པར་༼བྱེད་ན་ཁྱིས་རྨུགས་པ་ཡང་དེ་ནས་ཐག་ཆོད་འགྲོ་བས་དེ་༽དང་འདྲ་བར་
「(例えば)石を放る(ような場合)手を最初から止めてお(けば、犬が〔石に〕噛み付く〔という煩わしい出来事〕もその時点で解決したことになる)のと同じく」

 ジャムヤンシェーパの解釈によれば、おそらくこういうことであろう。犬がいる所で飼い主が石を幾度も放り投げると、犬はその度ごとに石を追いかけて行き、石にかぶりつく(実際に実験したら果たしてそうなるか分からないが…)。そして、犬が石にかぶりつくたびに、飼い主は犬の口をこじ開けて石を取り出してやらなければならない。反論者によれば、ツォンカパの見解はこれに似ていることになる。否定対象がいかなるものであるか幾度も確認し、毎回それぞれの否定対象を退けてゆくというのが、ツォンカパのやり方である。
 他方、反論者の考えによれば、はじめから石を放り投げさえしなければ、こうした面倒な作業を一々しなくて済む。つまり、「否定対象の確認」という煩わしい作業はナンセンスだという考えである。

 卑近な例で言えば、風邪を患った時に、病院まで出掛けて行って適切な治療をしてもらうのがツォンカパ流のやり方であろう。わざわざ外の空気に触れて風邪をこじらすくらいなら、家で安静にしていようというのが反論者のやり方である。ちなみに、ぼくがいつも選択するのは後者である。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

October 15, 2008

うつくしい話

 『100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影』(春日真人、NHK出版)という非常に面白い本を読み終えた。数学の難問の一つとされる「ポアンカレ予想」に取り組んだ数学者達のドラマを描いた本である。ぼくは数学が大の苦手なので(十二年前にある大学を受験したとき、数学の問題が一問も解けなくて不合格の結果となった)細かいことはよく分からないが、これを読むとなぜ数学の問題に魅せられる人達がいるのか頷けた気がする。

 自由な数学を愛したとされるポアンカレが言ったことを一言で表現すればこうなるそうだ。「宇宙にロープを一周させて、その輪が回収できるならば宇宙は丸い。」この予想の真偽をめぐって数学者達は百年もの間、頭を悩ませてきたと言う。
 数学者には二つのタイプがあるらしい。一つ目はポアンカレのように、形に捕われることなく直感で物を考えるが、直感的にひらめいたアイディアを実際に証明する仕事には興味を示さない者である。つまり、天才型のタイプである。そして、もう一つは天才達が考え出したアイディアを論理を積み重ねて丹念に検証するという、職人型のタイプである。
 後者に属する(と思われる)ギリシャの数学者、パパキリアコプーロスは「ポアンカレ予想」に挑むも、失意の内に生涯を終えた。その後、天才型(と思われる)アメリカのスメール、サーストンが難問の解決に近づき、最終的にはロシアの天才数学者ペレリマンが「ポアンカレ予想」に解決を与えた。ペレリマンはフィールズ賞を受賞されることが決定したが、本人は受賞を拒否し、間もなく研究所に退職届を提出して姿をくらましてしまった。
 「ポアンカレ予想」の解決に関するペレリマンの講義を実際に聞いたモーガンは、数学の魅力をこう語っている。

「数学でもっとも特別な瞬間は、問題を違った角度から眺めたとき、以前見えていなかったものが突然明確になったと気づく瞬間です。…私にとってペレリマンの論文はその連続でした。私は何度も『美しい』と思いました。」

 これはチベット仏教研究、殊にツォンカパの研究に携わる者ならば一度は経験したことがある感覚でなかろうか。ツォンカパは阿毘達磨、唯識、プラマーナ論、中観、無常瑜伽タントラといったあらゆる手法を駆使してインド仏教という「森」の中を歩いた者である。我々がツォンカパの目を通してインド仏教を眺めれば、それまで雑然として見えた「森」にまるで違った景色が見えてくることがある。

 ところで、「幾何化予想」を提唱したサーストンは結局自分の力でそれを証明することをせず、別の分野に進むことを選んだ。彼はこう言う。

「証明しようと努力はしたのです。でも私の考えたいくつかの方法は枯れてしまいました。追求しても可能性が見えない場合は、引き下がるのが賢明です。人生の目的はひとつではありません。」

「今では多くの数学者が、かつて私がひとりで考えていたことを学んでいます。素晴らしいではないですか。多くの人が、幾何化や双曲幾何学など、私が背負ってきた研究分野に貢献してくれているのです。理解してくれる人が多くなって、昔のように寂しくなくなりました。私は身に沁みて知っています。最初に何かを考え出すとき、そこには孤独がつきものなのです。」

 この一節を読んだとき、ぼくはなぜかヴァイオリニストのマキシム・ヴェンゲーロフのことを思い出した。ヴェンゲーロフが型破りの天才であることは、例えば彼のマスタークラスなどを見れば一目瞭然であろう。ヴェンゲーロフは昨年、ドクターストップを理由に広島で予定されていた演奏会をキャンセルした。そして、今年になって「指揮と教育に専念したい」といった主旨の発言をしたことで話題になっている。ぼくには昨年ヴェンゲーロフの弾くベートーヴェンを直に聴くチャンスを失ったことが、ただ残念でならなかった。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

October 09, 2008

物質のない世界から物質文明の世界へ

 チャンパ・トゥンドゥプ師による『サムスク・チェンモ』の講義(8th Oct. 2008)の一部を紹介したい。チャンパ・トゥンドゥプ師はカム方言の訛りが強いため最初の内は戸惑ったが、少しづつ慣れてきたように思う。ロサンゲレク師もロサンプンツォ師もカム地方の出身であるが、チャンパ・トゥンドゥプ師の話す言葉はだいぶ違って聞こえる。どうも、同じカムでも地域によって話される言葉は異なるようだ。
 ちなみに、ロサンゲレク師は遊牧民の家に生まれた方なので、話す言葉も遊牧民の言葉(འབྲོག་སྐད་)である。ロサンプンツォ師によると、一般に遊牧民は彼ら同士で固まって生活しており、あまり外の世界に接する機会はないのであるが、話し言葉は割とラサ語に近いのだそうだ。むしろ定住民の方が外部の世界に接する機会は多いはずであるが、彼らの話す言葉(ལུང་སྐད་)は地域ごとに大きな異なりが見られるとのことである。文化人類学的な思考に疎い自分にとって、このあたりの事情は大きな謎である。
 今日のチャンパ・トゥンドゥプ師の講義では「習気」をめぐる問題について以下のような説明があった(例によって、あまり文献的な考証は行なっていません)。

  * * *

『プラマーナ・ヴァールッティカ』には
 「認識でないもの(*)が認識の原因をなすことはないので
 〔認識からのみ認識は生起するということが〕成り立つ」(PV II 164cd)
と説かれています。色(物質)が認識(精神)の原因となることはありません。逆に認識が色の原因となることもありません。認識は認識からのみ生起するのです。
 では、色は色のみから生起するかと言えば、この点については次のような議論があります。無色界での生を全うした後、欲界に生まれ変わる者達がいますね。無色界とは色(物質)が存在しない世界のことです。彼らは物質が存在しない世界から欲界にやって来て、物質的な特徴を帯びた身体を得ることになるのです。では、彼らが欲界に生まれた時に獲得する物質的身体を生み出す質量因は何でしょうか。もし色(物質)を生み出すのは何らかの他の色(物質)であるとするならば、無色界にも色は存在すると言わなければなりません。しかし、それは不合理です。
 そこで、今の問題をこう解決したら良いでしょう。ある有情が欲界もしくは色界から無色界へ転生すると物質的な身体は消えてなくなりますが、無色界に生を受ける直前に、物質的身体の習気(潜在力)が発生します。その習気は色でもなければ認識でもない、心不相応行です。それは無色界においても心の上に存在し続けます。そして、その有情が無色界から欲界へ生まれ変わる際には、かつて具えていた物質的身体の習気が原因となって物質的な諸感官を生み出すのです。
 習気と呼ばれるものが一体どこに蓄えられているのか、習気とそれを保持する有情を結び付けるのは一体何であるか、この問題に対する答えは仏教内でも様々なものがあります。ある者は「アーラヤ識」を立てて説明しようとしています。また、ある者は「得」と呼ばれるものを立てています。「意識」の上に習気が蓄えるのだと主張する者もいます。中観帰謬派ではこの問題に答えるために「消滅状態」に関する独特の理論が立てられます。今、私達が問題にしている中観自立派の見解では、習気は心(意識)において蓄えられるのだと言われています。

 ところで、中観自立派の学説によれば、無明は所知障であるとされます(**)。無明には様々なものがあります。人我執もそうですし、法我執もそうです。中観帰謬派の学説では、これら二種の我執の習気が所知障であるとされます。ただし、ゴマン学堂独自の解釈によると、帰謬派の説で考えられている所知障には「二諦(勝義諦と世俗諦)を別々の物であると捉える知(བདེན་གཉིས་ངོ་བོ་ཐ་དད་དུ་འཛིན་པའི་བློ་)」も含まれます。二我執の習気を所知障と見なすという点では、いずれの学堂も見解は一致しています。しかし、所知障の中に知識も含まれる(ཤེས་སྒྲིབ་ལ་ཤེས་པ་ཡང་ཡོད་)という解釈はゴマン学堂に独自のものです。

(*)サンスクリット原文には‘avijñānasya’とあり、マノーラタナンディンはそれを‘vijñānaśūnyasya’と言い換えているので、それを「知識を欠くもの」と読むこともできるが、ここではチベット語訳 རྣམ་ཤེས་མིན་པས་ に従って「知識でないもの」と訳した。

(**)より正確に言えば、ゲルク派で理解されている自立派の見解においては、人我執は煩悩障と見なされ、法我執は所知障と見なされる。例えばクンチョク・ジクメワンポは自立派の学説を説明する際、次のように述べている。
གཉིས་པ་ལམ་གྱི་སྤང་བྱ་ནི། གང་ཟག་གི་བདག་འཛིན་ཉོན་སྒྲིབ་དང་། ཆོས་ཀྱི་བདག་འཛིན་ཤེས་སྒྲིབ་ཏུ་འདོད་ཅིང་། ཤེས་སྒྲིབ་ལ་ཡང་གཟུང་འཛིན་རྫས་གཞན་དུ་འཛིན་པ་ལྟ་བུ་ཤེས་སྒྲིབ་རགས་པ་དང་། ཕུང་སོགས་ཀྱི་ཆོས་བདེན་གྲུབ་ཏུ་འཛིན་པ་ལྟ་བུ་ཤེས་སྒྲིབ་ཕྲ་མོ་གཉིས་སུ་འདོད་དོ། །

| | Comments (1) | TrackBack (0)

September 10, 2008

現代文学の力

 遅ればせながら、『火鍋子』(No. 71)という雑誌に収録されているトンドゥプギェ(དོན་གྲུབ་རྒྱལ་)特集を拝読した。そこでは二十世紀を生きた短命の作家の作品『化身』を日本語訳で読むことができる他、訳者による詳細かつ含蓄に富んだ解説からは、トンドゥプギェに関する多くの事柄を学べるようになっている。
 トンドゥプギェの全集も持ち合わせておらず、今回初めてこの作家の作品に触れる機会を得たのであるが、非常に面白く思った。『化身』は、あるチベット人の村にやって来た「転生ラマ」を名乗る一人の男をめぐる物語である。作者はチベットの古めかしい言い回しを多用する一方で、旧来的なチベット人の姿をどこか冷めたトーンで描いている。そして、物語の随所には、中国共産党による「解放」(それはつまり、侵略という意味である)に関する「ほのめかし」を見て取ることができるであろう。
 『化身』の日本語訳を一読して、二面性のある作品なのだなという印象を持った。そして、解説文を読むと、それは適切な感想の抱き方であることが分かった。『化身』は「宗教批判」の書であると言って良いのではなかろうか。ただし、ここで言う「宗教批判」とは決して仏教やボン教の教義を批判することではなく、また、単に旧来の文化を破壊することを目指したものでもない。それはむしろ、人々が宗教的権威に盲従せざるを得なくなってしまう社会に対する批判である。
 古い因習にしばられたチベット人社会を批判することができるのは、チベット人のみである。外国人にそれはできない。チベット支援をして中国の敵となるか、はたまた、中国の肩を持つことでチベット人の敵となるかしかない。チベットが自立を果たすために必要なのは、チベット人自身による内部からの自己批判ではないだろうか。そして、それを可能にするのが現代文学である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 02, 2008

プロとコントラ

 前回の記事では དངོས་པོ་ を「もの」と捉え、རྟག་པ་ を「こと」と捉えることができるのではないかという仮説に依拠して賛成論(pro)を組み立ててみた。今はその仮説に対する反対論(contra)を思いつくままに書き留めておきたい。
 最も引っ掛かりを覚えるのは、名詞節で表現される幾つかの事例をどう解釈するべきかという点である。例えばゲルク派の文献では相対否定(མ་ཡིན་དགག་)の具体例として「太ったデーヴァダッタが昼に食事を摂らないこと(ལྷས་སྦྱིན་ཚོན་པོ་ཉིན་པར་ཟས་མི་ཟ་བ་)」というものが挙げられる。今ここで「太ったデーヴァダッタが昼に食事を摂らないこと」と訳したように、この名詞節によって言い表されている対象は「もの」ではなく「こと」であると思われる。おそらくゲルク派の学者達は(文献的な根拠をすぐに見出すことができなかったが)これを常住(རྟག་པ་)であるとは見なさないであろう。
 「太ったデーヴァダッタが昼に食事を摂らないこと」というフレーズは「太ったデーヴァダッタが昼に食事を摂ること」という否定対象を排除するだけでなく、「デーヴァダッタが夜に食事を摂ること(མཚན་མོ་ཟ་བ་)」を間接的な形で聞き手に理解させる。「夜に食事を摂ること」は「もの」ではなく「こと」であるが、それはゲルク派の学者達によれば肯定的現象(སྒྲུབ་པ་)である。ということは、「夜に食事を摂ること」は དངོས་པོ་ なのである。
 同様のことは སྒྲ་མི་རྟག་པ་ についても言えるかも知れないが、これについてはゲルク派内部でも見解の相違があるので危険な深入りを避けることにしたい。
 以上を踏まえると、དངོས་པོ་ と རྟག་པ་ の関係を、単純に「もの」と「こと」の関係に置き換えるのには難点があることになる。なぜなら དངོས་པོ་ の中にも「こと」という日本語でしか表現しようのない例が存在するからである。やはり、ゲルク派の伝統的な解釈に見られるように、དངོས་པོ་ とは「その存在がそれ自体で知られ得るもの/事柄」であり、 རྟག་པ་ とは「単に否定対象の排除を通じて知られ得る事柄」であるという理解に留めておくのが無難かも知れない。
 ただし、いずれにせよ、少なくとも རྟག་པ་ を「こと」と見なすという点は許されるのではなかろうか。もちろん「空性」や「虚空」のように、 རྟག་པ་ でありつつ「こと」という語を必要としないケースもある。しかし、それらの名辞が実際に意味する所は「こと」である。「空性」とは「真実として成立していないこと」であり、「虚空」とは「抵触性が存在しないこと」である。
 チベット語は「もの」と「こと」を明確に区別して表現することができない言語である。そのため、チベット人の学者達の思考回路が一体どうなっているのか、かねがね不思議に思っていた。テンパ・ギェルツェン師が日本語における「もの」と「こと」の区別を熟知していたという事実だけでも、充分驚きに値するであろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 01, 2008

「もの」と「こと」の哲学

 数日後に控えている学会で、ゲルク派教学における「常住」と「無常」の対概念について考察した内容を発表する予定である。

 ゲルク派の見解によれば、「存在(ཡོད་པ་)」は「常住者(རྟག་པ་)」と「効果的事物(དངོས་པོ་)」の二つに分類される。後者の「効果的事物」を「無常な物」と言い換えても良い。それは何らかの結果を生み出す能力を持つ存在であり、また、時間が経過すると共に変化するものである。「効果的事物」は生起した次の刹那には必ず消滅する(刹那滅)。一方、前者の「常住者」は、変化とは無縁の存在のことを指している。
 「常住」であるとは必ずしも永遠に存在することを意味しない。これがゲルク派に特徴的な考え方である。例えば、ゲルク派の論理学文献では「壺の消滅状態(བུམ་པ་ཞིག་པ་)」は「常住」であると言われている。「壺の消滅状態」は壺が消滅してはじめて存在するものであり、壺が消滅しない限り「壺の消滅状態」は存在しない。つまり、「壺の消滅状態」はあったりなかったりするような存在である。しかしながら、ゲルク派ではそれを「常住」と見なす。なぜなら「壺の消滅状態」は変化することがないからである。毎刹那に変化するのはあくまで壺なのであって、刹那1における「壺の消滅状態」が刹那2には別の姿へと変化しているといったことはあり得ないのである。
 一体「壺の消滅状態」とは何であろうか。ゲルク派の学者達はこう言う。壺の消滅状態は存在するが(བུམ་པ་ཞིག་པ་ཡོད་)、消滅した壺は存在しない(ཞིག་པའི་བུམ་པ་མེད་)と。「消滅した壺」と言ったら、それは非存在である。どこにも消滅した壺など存在しない。それに対し、「壺の消滅状態」とは壺が消滅したという事実のことを指している。そして、そうした事実は実際に存在するので「壺の消滅状態は存在する」と言って良い。もちろん「壺の消滅状態」などという対象が、どこかの地面の上に転がっているわけではない。「壺の消滅状態」は「壺の未消滅」という否定対象を意識の中で除外することを通じて、はじめて確認され得る存在に過ぎない。だが、それはちょうど壺が存在するのと同じように「存在」するのである。

 最近ずっとそんなことを考え続けてきた。先日よりケンスル・テンパギェルツェン師にも、これらの点について質問し続けてきたのであるが、今日テンパ・ギェルツェン師は興味深い見解を披露して下さった。

「チベット語の དངོས་པོ་ は日本語で言う『もの』に相当し、རྟག་པ་ は日本語の『こと』に相当するのではないでしょうか」

 テンパ・ギェルツェン師自身が「もの」と「こと」という日本語を用いて実際このように仰ったのである。師によれば「もの」と「こと」の間にはいわゆる「四句分別」は成立しない。

(1)「もの」であるが「こと」ではない領域
(2)「こと」であるが「もの」ではない領域
(3)「もの」であり、かつ、「こと」である領域
(4)「もの」でもなく、「こと」でもない領域

 これらの内(3)と(4)は空集合である。従って「もの」と「こと」の間に「四句分別」は成り立たない。これは དངོས་པོ་ と རྟག་པ་ つまり、「効果的事物」と「常住者」の場合にも言えることである。
 確かにテンパ・ギェルツェン師が言う通り、「壺」や「眼識」や「文」は「もの」である。「もの」はそれ以外の何かを介在することなしに、それ自体でその存在性が知られる(རང་གི་ངོ་བོའི་སྒོ་ནས་བཞག་པས་ཆོག་པ་)。一方、「壺の消滅状態」は「こと」である。すなわち、「壺の消滅状態」とは「壺が消滅したこと」である。そして、それは「壺の未消滅」という否定対象が存在しないという事態を顧慮した上で、はじめてその存在を確かめることが可能な事象である。「もの」と「こと」は存在するという点で共通しているが、その存在の様態(ཡོད་ཚུལ་)が異なる。

 ゲルク派の見解に従えば、経量部は「もの」にのみ因果効力を認め、「こと」に因果効力を認めない立場に立つと言えるように思われる。つまり、全ての「こと」は分別知によって仮設されたのみの存在であり、何ら効力を持たない。この原則は唯識派と中観自立派の体系にも当てはまるであろう。
 ところが、中観帰謬派(少なくともゲルク派で理解されている所の中観帰謬派)は、この常識を根底からひっくり返す立場に立っている。ゲルク派で理解されている所の帰謬派の学説では、「業の消滅状態」は効果的事物であるとされる。過去に積まれた業が消滅した事実、言い換えれば、業が消滅したという「こと」が、楽果や苦果という結果を生み出す力を具えているというのである。

 ちなみに、元来、日本語の「こと(事)」は「こと(言)」と区別されなかったらしい。言葉によって表される事実が「こと」である。言葉によって表現される世界のことを仏教では「言説」と呼ぶ。中観帰謬派の哲学の根幹は「全ての存在は言説の内部で仮に措定されたものに過ぎない」ということ、そして、「仮に措定されたに過ぎない事象が現実に作用をなすことは決して矛盾しない」ということである。「事」と「物」はいずれも「言の世界」の中に含まれており、ことによっては、「事」が「物」を生み出すこともある。何だかダジャレのような話であるが、中観帰謬派の哲学をそのような仕方で捉えることもできるのではなかろうか。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

July 14, 2008

タバコの煙と揺るぎなき信仰

 モンゴル出身の学者アラクシャ・テンダルララムパ(b. 1759)は素晴らしい学者であり、その著作は興味深く有益なものばかりである。だが、彼の不思議な生涯については一体何を手掛かりに調査すれば良いのだろうか。テンダルララムパ全集に彼の伝記は収録されていないため、彼の没年すら不明なのであるが、『雪域歴代人名辞典』(p. 1915)に示されている通り、テンダルララムパは81歳の年(1839年)にBlo sbyong don bdun ma'i gtam theg mchog nye lamを著作しているので、少なくとも1839年までは生存していたと言える。
 テンダルララムパはゴマン学堂でロンドルラマに師事し、ゲシェ・ララムパの位を獲得している。後年、51歳にしてラブラン・タシキル僧院に入り直し、子どもたちと一緒に修辞学を勉強し直したという逸話は有名である。ムンドゴッドのゴマン・ライブラリから出版されている彼の著作に、本の編集者が作成した略伝がある。この略伝によれば、テンダルララムパは故郷のモンゴルに戻った時、自分の母親にチベット語の諺の意味を聞かれたが、上手く答えることができず、そのことを恥ずかしく思って修辞学を勉強しようと思ったのだとのことである。既にその時、仏教学者としては大物であったにも関わらずである。

 先日、ゴマン学堂の出身であるロサン・ゲレク師から興味深い情報を得た。ゲレク師によれば、テンダルララムパはモンゴルに帰ってから還俗し、結婚までしたのだという。テンダルララムパには既に弟子達がいたのだが、ある時彼らは、僧籍を返上してしまった師を訪ねてモンゴルまでやって来た。テンダルララムパはかつての弟子達を前に、長いパイプでタバコをふかし、すっかり変貌した姿を見せていた。彼は自分の弟子達にこう尋ねた。
「君たちは私に対する信仰を捨てようと思わないのかね」
すると弟子達は
「そんな、とんでもありません」
と答えたという。
 なぜこの弟子達はテンダルララムパへの信仰を捨てなかったのだろうか。ゲレク師の解釈によれば、それは彼ら自身の心が全く汚れておらず、自分達の師がたとえ見かけ上は堕落しているように見えても、師が本来具えている美質を正しく見抜いていたからだそうだ。ゲレク師によれば、ある人の長所が見えたり、短所が見えたりするのは、それを見る側の主観が反映されているに過ぎない。そして、信仰を支えるのは最終的には自分自身の気持ちの持ちように他ならない。いくら我々が仏陀やラマのことを信じようとも、あるいは信じなくとも、仏陀やラマの側には何の利益も不利益もない。利益や不利益を受けるのは我々自身に他ならないのである(དངོས་ལ་མ་ཡིན་རང་ལ་རག་ལས་)。

 さて、こうしたテンダルララムパに関する話が一体何らかの文献に書かれているのかどうかは不明である。ゲレク師自身は自分の先生から話を聞いたとのことであるので、特にゴマン学堂内で伝わっている伝承なのかも知れない。
 ゲレク師が語ってくれたテンダルララムパの物語は、20世紀を生きた悲劇の学者ゲンドゥン・チューペルを彷彿とさせるものである。特にタバコの下りがそうである。ゲンドゥン・チューペルは還俗後、酒とタバコを好んで呑んだことで知られるが、あるときタバコの煙をこれ見よがしに怖畏金剛を描いたタンカに吹きかけたという。周囲の人が「なぜそんなことをするのか」と問いただすと、ゲンドゥンチューペルは「自分は単にお供え物をしているだけだ」と語り、『現観荘厳論』第八章の偈頌を引用した上で、どんな不味い味の物でも仏陀には最上の味として享受されるのだと言ってのけたそうだ。
 ゲンドゥン・チューペルに対する評価はチベット人の間でも、そして、ゴマン学堂の内部でも一致していないようだ。ゲレク師の場合はゲンドゥン・チューペルのことを割と好意的に捉える立場に立っており、「ゲンドゥン・チューペルは生涯を終えるに至るまで、実は仏教に対する強烈な信心を抱いていた」のだと理解している。ゲレク師によれば、ゲンドゥン・チューペルは死を迎える直前、すっかり体は衰弱していたが、側近の者に頼んでツォンカパの『縁起讃』を読誦してもらった。側近の者が唱える『縁起讃』の教えを噛みしめながら、ゲンドゥンチューペルは涙を流したという。そして、その事実(これが事実だとして)こそが、彼が内心では揺るぎなき信仰を抱いていたという、何よりの証拠なのだそうだ。

 ぼくには「信仰」のことは良く分からないし、むしろ「信じないこと」を信条としている部類の人間だ。それに加えて、不思議な物事を容易に信じやすい人達のことが、ぼくはあまり好きでない。だが、ゲレク師の話の中で一つ共感する所があった。それは仏陀ないしラマを我々が信じようが、信じるまいが、仏陀やラマ達の側には何の影響もなければ、何の問題も発生しないという点である。結局、信心を持つことによって何らか得した気持ちになったりするのは信仰者本人に他ならないのであって、その気持ちが相手に伝わってどうこうなるというものでもない。そんなことをぼくが思うようになったのは、おそらく、来日したダライ・ラマ14世と一緒に写真を撮らせてもらおうと躍起になって一喜一憂している日本人達の姿を見た時からであろう。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

June 22, 2008

自己認識について

 本日の『セードゥラ』講読会は第七章「客体と主体」の内、主に「行蘊」を中心としたものであった。講義の中で「自己認識」の位置づけに関して極めて的確な説明があったので、今記憶している限りでまとめることにしたい。ちなみに、ここで「的確な」と言うのは、少なくとも「ゲルク派教学の枠組みの中で的確な」という程度の意味である。自分が知る限りでは、「自己認識」に関してこれだけ要点を押さえていて、なおかつコンパクトな説明というのは、ゲルク派の文献上にはあまり見られないものである(もちろん「コンパクトでない」説明ならば幾つでもあると思われるが)。ロサン・ゲレク師による説明は大体次のようなものであった。

  * * *

認識には「他者認識(གཞན་རིག་)」と「自己認識(རང་རིག་)」の二つがあります。例えば、「青」や「黄」といった対象を捉える眼識が他者認識です。他者認識の場合、把握者と把握対象の二者は別々に存在しており、この二者の間に同一性の関係はありません。これが他者認識の特徴です。他者認識を分類すると「心」と「心所」の二つがあります。

一方、自己認識とは例えば「青を捉える眼識を経験する認識」といったものです。「青」を眼で見ている時に、「青を見ている」という認識が起きますね。その認識が自己認識と呼ばれるものです。「青を捉える眼識を経験する自己認識」が直接に捉える対象とは「青を捉える眼識」なのですが、この場合、把握対象と把握者との間には同一性の関係があると言えます。青を捉えている要素も、青を捉える認識を経験する要素も、同一の認識の上で起こっているからです。つまり、認識が認識自体を捉えているわけです。

自己認識は「能取(把握者)を形象として有する知(འཛིན་པའི་རྣམ་པ་ཅན་གྱི་ཤེས་པ་)」と定義されます。『セードゥラ』などのテクストでは「能取形象(འཛིན་རྣམ་)」とだけありますが、これは極めて簡略化された表現であって、きちんとした言い方をすれば、「能取(把握者)を形象として有する知(འཛིན་པའི་རྣམ་པ་ཅན་གྱི་ཤེས་པ་)」というのが自己認識の定義です。

さて、自己認識とは心、心所のいずれでもない認識です。さらにまた、自己認識は行蘊に含まれる法なのですが、心相応行と心不相応行のいずれでもありません。一般的に言って、行蘊を分類すれば心相応行と心不相応行の二つに分けることができますが、実はそのいずれにも属さない自己認識というものがあるのです。

では、ここで『セードゥラ』における「心相応行」と「心不相応行」の定義を振り返ってみましょう。『セードゥラ』によれば、「心相応行」は「行であり、なおかつ、それ自身との相応者を持つ点で際立っているもの」と定義され、「心不相応行」は「行であり、なおかつ、それ自身との相応者を持たない点で際立っているもの」と定義されます。

これらの定義において、「〜という点で際立っている(རབ་ཏུ་ཕྱེ་བ་)」という表現が見られますね。これは「〜という観点から設定される(ཆ་ནས་བཞག་པ་)」という言い回しと同じ意味を持っています。定義の中にこれらの表現が用いられている場合には、必ずしも当該の被定義者(x)が定義の条項(y)を全て充たしているとは限らず(སྡུད་པའི་ཆ་བཞག་)、あるいは、その定義の条項(y)を充たしているからと言って必ずしも当該の被定義者(x)として措定されるとは限りません(གཅོད་པའི་ཆ་བཞག་)。つまり、これらの間に遍充関係はないのです(ཁྱབ་པ་མི་འདུག་)。『セードゥラ』の中で「心相応行」と「心不相応行」を定義する際に「〜という点で際立っているもの」という表現をわざわざ用いているのは、それらいずれでもない行蘊が存在することを意図したものです。つまり、自己認識が心相応行と心不相応行のいずれでもない行蘊であることを言わんとしているのです。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

June 07, 2008

停滞期の1905年

 1953年のスターリン死後、作曲家ショスタコーヴィッチにも「雪解け」が訪れていたはずであった。スターリン時代に演奏される機会のなかった作品が次々と初演され、レーニン賞など多くの賞を受賞した。にもかかわらず、この頃のショスタコーヴィッチは「停滞期」にあったと言われている。その理由は、この時期の彼の作品にはあまり「独創性」が見られず、むしろ社会的なテーマを扱ったものや、体制側に迎合しているかのように見える作品が目立つからである。その背景には彼の妻ニーナの死、母の死、そして、あまり仕合わせでなかった再婚などがあったとされる。
 この作曲家の生涯についてあまり詳しい知識を持ち合わせていないので、うかつなことは言えないけれども、この人の性格というのは、スターリンさえいなくなれば万万歳といったような単純なものではなかったのであろう。今手元にはソクーロフが作った記録映画『ヴィオラ・ソナタ』—ショスタコーヴィッチの生涯を描いたドキュメンタリーである—があるが、この時期の彼の苦悩については、残念ながらあまり何も語っていない。「ドルトマフスキーの詩による四つの歌曲」より「祖国は聞いている」という曲が、どこか逆説的にも思われる美しい旋律を奏でているのみだ。皮肉なことにこの曲は、その映画の中で引用される彼の作品の中でも、とびきり奇麗で、微塵ほども毒気を感じさせない曲である。

 このいわゆる「停滞期」に作られた曲の内、最高傑作と言えば、やはり交響曲第11番「1905年」であろう。このシンフォニーは1905年1月9日に起きた「血の日曜日事件」をモチーフにしている。

「この日、皇帝に直接労働者の窮状と改革を訴えようと、10万人もの労働者とその家族が冬宮に向かって行進していった。行進は平和的なものであったが、反政府的なものと見なされ、皇軍が発砲し、千人もの死傷者を出した。」(梅津紀雄『ショスタコーヴィッチ—揺れる作曲家像と作品解釈—』東洋書店)

 まるで、つい最近どこかの国でも起こった出来事と同じである。第三楽章「永遠の追憶」でヴィオラが奏でる「同士は倒れぬ」をはじめとし、この交響曲では幾つもの革命歌が引用される。当時のソ連でこの曲は「ロシア革命を賛美した作品」と理解されていた(?)ので称賛されもしたそうであるが、実際には皮肉以外の何物でもない。第二楽章「1月9日」で描かれる民衆への射撃のシーンは、まさに地獄絵図である。ショスタコーヴィッチ自身が後年「私がハンガリー事件の直後にこの作品を書いたという事実を忘れないでくれ」と語っていることからも示唆されるように、この作品に込められた真のメッセージを見失ってはならないであろう。
 ショスタコーヴィッチのスタンスに、どこか「中立的」なものを感じてしまうのは自分だけであろうか。「中立的」といっても、それは決して物事を穏便に済まそうとする態度のことではない。ジェスチュアとしては体制側に迎合するかのような姿勢を示しつつも、実はそこに飛びっきりの皮肉が込められていることがあるように思われる。「1905年」がその典型である。

 ところで、ソクーロフの記録映画のタイトルにもなっている「ヴィオラ・ソナタ」は、ショスタコーヴィッチにとって人生最後の作品である。亡くなる直前まで校訂作業にかかっていたと言われている。その人生最後の作品の一番最後は、何とハ長調の「ド-ミ-ソ」の和声で終わっている。この「ヴィオラ・ソナタ」の終わり方は何と衝撃的であろうか。作曲家がその屈折した人生の最後に書いた音が、最もシンプルで正直な「ド-ミ-ソ」であったとは。しかも、その中間音の「ミ♮」がヴィオラによって奏でられる所にポイントがある。もしヴィオラが音程を半音下げてしまうと「ド-ミ♭-ソ」となるので、短調になってしまう。つまり、この曲の最後の音の調性を長調にするか短調にするかは、独奏楽器であるヴィオラに委ねられているのである。

 両極端な物事の中間に立ちつつ最も本質的なことを語ることができるのは、ごく限られた非凡な才能を持つ者のみである。何か極端なことを発言したり、極端な振るまいをすることは、勇気と無知さえあれば、実は誰にでもできる。ここ最近ずっとショスタコーヴィッチのことを考え続けていたのだが、今の所はそんなことを考えている。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

June 04, 2008

無色界について

 先月よりロサン・ゲレク師に『サムスク・チュンワ』を講義してもらっている。今日ついに「四無色定」の箇所まで辿り着いた。残す所あと少しである。今日は無色界に関して興味深い話が聞けたので、以下に拙訳を掲載することにしたい(以下、文献的な考証は全く行なっていません。聞いた事柄をまとめただけです)。

  * * *

(ロサン・ゲレク師:)無色界のプドガラには色蘊が存在しません。無色界の者は受想行識の四蘊しか持たないのです。従って、無色界の者達は「法を聴聞する」ことができません。菩薩が無色界に赴かない理由もそこにあります。
 どういうことかと言いますと、衆生が煩悩を断じるためには、まず仏法を聴聞することが必要なのですが、無色界の者は「耳根」を具えていないので法を聞くことができません。ですから、菩薩が仮に無色界に赴いたとしても、そこにいる衆生に法を聞かせることができず、衆生救済を達成することができません。衆生救済を目的とする菩薩は、欲界と色界にのみ赴くのです。
 無色界に声聞聖者はいます。声聞聖者の中には、業と煩悩の働きによって無色界に生まれる者がいます。無色界に生まれた声聞は「化身」の形を取って欲界に行き、そこで仏法を聴聞します。ただし、こうした声聞はごく少数であるようです。いずれにせよ、無色界の凡夫にとって、法を聴聞することは不可能です。
 さて、以上は顕教の見解ですが、密教文献の中には「無色界にも色は存在する」と説くものがあります。密教では「ルン(風)」という概念が出て来ますね。ルンとは意識の乗り物であり、ルンと意識は常に行動を共にすると言われています。私達の意識は絶えずあちこちへと向かって行きますが、それはなぜかと言えば、意識はルンと共にあるからです。ルンの力を借りることで、意識はあちこちの対象へと働きかけます。

(質問:)ここでいう「ルン(風)」とは、触処の一つと考えて良いのですか?

(ロサン・ゲレク師:)その通りです。ルン(風)の形は三日月形であると言われています。ちなみに、水の形は球体です。実際、水は自由自在に動いているように見えますよね。水の可動性は、水の形が球体であることによるのです。さらに、火の形は三角形、地の形は四角と言われています。ペチャの中にその通り説かれています。

(質問:)それは密教の見解ですか? 顕教の見解ですか?

(ロサン・ゲレク師:)これは顕教にも見られる見解です。さて、ルンに話を戻しましょう。ルンは「意識の乗り物」であるとされます。ちょうど人が馬を乗り物とするようにです。人が馬に乗って素早く動き回れるのと同じように、意識もルンに乗ることで、軽やかに動き回ることができます。
 意識とルンは常に行動を共にします。意識が赴く所には必ずルンも付いていきます。従って、無色界の者にもルンが存在します。このようにして、密教では「無色界にも色蘊はある」と説きます。
 『倶舎論』では無色界に色蘊が存在するか否かをめぐって、詳しい議論を展開しています。クンケン・ジャムヤンシェーパもまた、この問題について二種類の説を立てています。ですが、仏教一般に共通するのは、無色界において我々の手や足や胴体に当たるような物質、つまり、粗大な身体は存在しないという見解です。「無色界に色は存在しない」という学説の意味をそのように理解しておけば、少なくとも間違いはないでしょう。

(質問:)無色界には聖者と凡夫の両方がいるのですか?

(ロサン・ゲレク師:)どちらもいます。しかし、聖者はとても少数です。菩薩は無色界に行くことがありませんし、無色界に生まれる声聞というのはごく限られた者達です。

(質問:)無色界に独覚の聖者はいますか?

(ロサン・ゲレク師:)独覚の聖者ですって? んーそうですねぇー。おそらくいないでしょう。今我々が問題にしている瑜伽行中観自立派の学説に従えば、無色界に独覚はいない筈です。経量行中観自立派や中観帰謬派の学説では、おそらく無色界に独覚もいると言うでしょう。
 瑜伽行中観自立派の説では、独覚に「四向四果」を立てないという特徴があります。他方、唯識派や経量中観自立派は独覚にも「四向四果」の階梯を設けています。そもそも独覚には二種類あります。「部行独覚」と「麟角独覚」です。部行独覚には大、中、小の三種がおりますが、彼らは仲間達と共に修行して阿羅漢を目指します。一方、麟角独覚は最初の段階では善知識から教えを受けますが、それ以降は単独で修行して阿羅漢の境地を目指します。瑜伽行中観自立派の説によれば、無色界において(少なくとも)麟角独覚はいないと言うのではないでしょうか。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

«意識のありか