何か不愉快な個人的体験
アスペルガー症候群という病気の名前を知ったのは、つい二、三年前のことであった。それは、ぼくが世界で一番好きなピアニスト、グレン・グールドが「近年の研究によれば、アスペルガー症候群だったのではないかという疑いが持たれている」といったような記事を読んだためである。先日、この病気について書かれた『アスペルガー症候群』(岡田尊司、幻冬舎新書)という本を読み、たしかにグールドはアスペルガー症候群に相違ないなという思いを強くした。それどころか、もしこの本に書いてある通りに従うならば、大抵の学者や、芸術家や、作家はアスペルガー症候群に分類されてしまうであろうけれど。
アスペルガー症候群とは知的障害を伴わない自閉症のことであるらしい。作者はこの病気の様々な症例を報告する。読み所は、アスペルガー症候群と推定される幾人もの歴史上の人物に関する挿話である。この人はアスペルガー症候群なのだという前提の下に眺めるならば、たしかに色々のことが容易に説明つくようにも思われる。歴史上の人物のことも。そして、自分自身や、自分の友人や知人のことも。
ぼくには一体どこからどこまでがほんとうの「アスペルガー症候群」なのか分からない(実際その基準は曖昧であるようだ)。けれども、この本は大切なことを明らかにしているように思う。それは、立派に自己主張ばかりするが、少しも他者の気持ちを分かることができず、つまらないことばかりに拘泥し、輝かしい成功も束の間、結局はたった独りで生きてゆくしかない人間の本性である。ぼくはこの本を精神医学の解説書としてではなく、一つの興味深い人生論として読むことができた。
最近、興味深い本をもう一冊読んでいる。『ダライラマの外交官ドルジーエフ チベット仏教世界の20世紀』(棚瀬慈郎、岩波書店)である。ブリヤート出身のアグワン・ドルジーエフ(ངག་དབང་རྡོ་རྗེ་)はデプン・ゴマン学堂で学び、ダライ・ラマ十三世の信頼を得て外交官として活躍した。ドルジーエフの生涯を扱ったこの本の中に、英印政庁の総督を務めたカーゾンについての記述がある。以下は孫引きの引用である。
「その自意識は、独善と誤解されやすかった。力強い声は賛同者の感情をかきたてるのにも、また敵対者を批判するのにも同様の効果をもち、賞賛すべき、そして十分に練り上げられた演説と、華麗な修辞のスタイルは、友人には強い印象を残したが、批判者にはわざとらしいものと受け取られた。特別に理知的な頭脳ゆえに、その議論は徹底的で、細部にわたるものになったが、それは冗長さにも通じた。その言葉のもつ力を、嫉妬にかられた者たちは冗漫と呼んだ。」
「彼の外交問題へのアプローチは、しばしば何か不愉快な個人的体験(それは得てして、あまりにもつまらないことなので意識にものぼらない)に由来する偏見に影響されている。ダライラマと関係を結べなかったことが、そういった体験であると思わざるをえない。なぜなら彼はそれに恨みを抱き、不必要なまでにこだわったからだ。」
前掲書『アスペルガー症候群』を読んだ後でこの記述を読むならば、誰でもこう思うだろう。カーゾンはアスペルガー症候群であったにちがいないと。そして、もしこの人がアスペルガー症候群でさえなかったら、ヤングハズバンド率いる武装使節団によるチベット人大虐殺は起こらなかったかもしれないと。
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Comments
わたしの父は、70の年にアスペルガーの診断が出ました。理解に苦しむ行動が続き、意思疎通を十分にできず、酒におぼれ、放蕩し、妄想が切れることなく続きました。
でも、子煩悩なよい父でした。母は、父をよく支えました。
結局、父をどうすることもできず、施設に預けることになりました。
「どうすることもできない」という絶望が、仏教を学ぶ端緒となりました。父とはそういう縁なのだと、今は、思っています。
Posted by: (匿名) | January 15, 2010 at 03:10 PM